チャンスは平等に与えられるかもしれないが、そもそもスタート地点が平等じゃない話。
みなさん、こんにちは。ハルヤです。今回は
【チャンスは平等に与えられるかもしれないが、そもそもスタート地点が平等じゃない話。】について書いていきます。
私がこの記事で言いたいことはタイトルのままです。
チャンスは皆に平等に与えられているかもしれませんが、根本的にスタート地点が違うじゃないですかというお話です。
ここでいうスタート地点は『産まれた時』です。人生のスタートといってもよいでしょう。
産まれた時点で既に親ガチャというのが始まっていますよね。親がお金持ちか貧乏か、頭が良いか悪いか(ここでは勉強が出来る・出来ないとしておく)、親の顔の見た目はどうか、親が運動が出来るかどうかなどです。
恐らく、顔が重要になるであろう女性は特に産まれた時に美人かそうでないかで今後の人生が大きく左右されますし、顔よりも個人的に大事だと思うのが『経済力があるかないか』です。
やっぱりお金があるかないかで選択肢が広がったり狭まったりしますからね。
良い部分をプラス、悪い部分をマイナス(例えば親が金持ちならプラス、貧乏ならマイナス)とすると、産まれた時点でスタート地点がマイナスからスタートする人と、プラスからスタートする人が当然ながら出てきますよね。
スタート地点がプラスなら、ゲームだと『強くてニューゲーム』状態だと思います。
プラスだと有利ですが、マイナスから始まった人はまずマイナスから0にするところからやらないといけない訳です。明らかに不利です。
スタート地点がそもそも平等じゃないのに関わらず、「あの人が上、あの人は下」と比べるのがお門違いだと私は思うんですよね。
スタート地点が同じだったらいいですよ?でも実際のところ違うじゃないですか。
親ガチャでミスってしまったら産まれた時点でもう取り返しがつかないような差がついてしまっているかもしれない中で「チャンスは皆平等に与えられる」と言われても「う~ん...」と私はなってしまいますね。
どこが平等やねん
平等という言葉の意味を調べてから言ってくれ。